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世界遺産 2017/05/27

シーギリヤロック

天空の世界遺産シーギリヤロックの秘密に迫る

世界的にも珍しい岩山の頂上に築かれた空中都市


Beyond the Holiday スリランカ編集長の新井です。


スリランカ観光のハイライトとも言える

「シーリギリヤ・ロック」(Sigiriya Rock)。


今でこそ世界中から観光客が押し寄せる名所として

明るく平和な雰囲気さえ漂いますが

かつてこの岩山の上に狂気に満ちた一人の王と天空の都が存在した

という物語を知ると、また違った景色が見えてくるかもしれません。


今回は、そんなミステリーツアーに皆さんをご招待します。



父親を殺害して王位を剥奪!狂気と孤独に生きた王


455年、スリランカを征服していた南インドタミル人から

王位奪還に成功したシンハラ王のダトゥセーナ(Dhatusena)


彼には平民の妻との間にもうけた長男カッシャパ(Kassapa)

王族の家系出身の正妻との間に生まれた次男モッガラーナ(Moggallana)

という腹違いの息子がいました。



二人は王位継承をめぐり争っていましたが

当時の王位継承は血筋が重んじられていたため

王族の血を引く次男モッガラーナが有力視されていました。


そんな状況下で次第に狂気に陥っていった長男カッシャパは

473年、とうとう実力行使に出ます。


カッシャパは当時の王であり父でもあったダトゥセーナを監禁して王位を剥奪

そして477年、家臣に命じて父を殺害してしまいます。

身の危険を感じた弟モッガラーナは南インドへと亡命しました。


カッシャパは自らが王位に就くと

軍事施設を兼ねた王宮をシーギリヤの岩山の上に建造

難攻不落な要塞を築きます。



こうして世界的にも珍しい天空の都が誕生したのですが

カッシャパは父を殺してしまった自責の念と

弟の復讐を恐れる不安に苛まれ続けることになります。


なぜわざわざこんな岩山の上に都を置いたのか

当時の彼の心理を想像するとその謎が少し溶けるかもしれません。



491年、弟モッガラーナがインドより大軍を引き連れ

シーギリヤに攻め入ります。


モッガラーナは都を奪還し

兄カッシャパは短剣で自らの喉を刺し、自害。

その波乱に満ちた生涯に幕を下ろしました。



その後、モッガラーナが王位に就き

都はアヌラーダプラへと戻されることになります。




謎に包まれたシーギリヤレディの正体とは?


シーギリヤロックの壁に描かれたフレスコ画の美女

通称シーギリヤレディ

シーギリヤロックの見所のひとつでもあります。


かつては500人もの美女が描かれていたそうですが

現在残っているのは18人の画だけ。



以前はカッシャパ王の侍女ではないかとされていましたが

文献、考古学、風習の観点から

この地は紀元前3世紀までテラワダ・マハヤナ仏教の僧院であった可能性が高く

(カッシャパが王位についたのは5世紀頃)

シーギリヤレディはそのマハヤナ仏教の女神たちであり

14世紀以降、僧院は閉鎖されてしまったのではないかという説もあります。


そして未だにシーギリヤレディの正体は解明されていません




歴史の闇から発掘され、世界遺産へと


歴史の闇に埋もれてしまったシーギリヤが再び注目され始めたのは

イギリスの植民地時代になってからのこと。


1857年にシーギリヤレディの壁画が発見され

19世紀後半から20世紀前半にかけて遺跡の発掘がなされます。


そして、1982年ユネスコ世界遺産に登録されました。



さまざまな歴史の証人となってきたシーギリヤロック。


その姿は多くの人々の人生を受容しながら

今日も静かにスリランカを見守る守り神のようでもあります。


皆さんも現地へいらした際は

頂上の古都からスリランカを見下ろして

シーギリヤの歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


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